今回は『50周年記念誌』で特別寄稿「わたしは・神の同労者・であるー女性連合のこれからに思いを馳せてー」を寄せてくださった金丸英子先生にメッセージをお願いしました。
自分の頭で、自分の言葉で、自分の責任で
『50周年記念誌』執筆者
西南学院大学神学部教授 金丸 英子
女性連合のこれからを考える際、さまざまな課題があることと思います。その中に、別組織ながら協力関係にある日本バプテスト連盟とどのように力を合わせて働いてゆくのかという課題もあると聞いています。この課題は最初に女性の働きが始まった戦前を皮切りに、戦後の婦人連合創設時、そして現在に至るまで連綿と続いています。私は『50周年誌』へ寄稿の機会をいただきましたが、それに関連づけて次のように書きました。
「松村は、連盟の『オーグゼィラリー」としての女性(婦人)連合の立ち位置を積極的に受け止めて、次のようにも続けました。『連盟が自給路線に沿って従来の婦人部の働きに対する財政的な裏付けをなくしたということは、婦人信徒が連盟の直接的な援助と指導がなくても、婦人たちは健全な伝道と奉仕の働きを続けることができるという、連盟諸教会の信頼と期待を表すものである』
これは、。女性たちは(中略)自らの判断と責任において新たな働きを生み出し、その目的と理念を定めて、必要な時にはそれらを整理し、存在と働きの意味を吟味することができるという励ましであるように聞こえます。(中略)連盟のための単なる翼賛(よくさん)的な存在ではなく、肩を並べて等しい地平に立つ神の国の福音のための神の同労者として呼び出されていると言う自覚と認識がここに意識されています。因みに、米国南部バプテスト女性宣教同盟(WMU)は、1990年にファンダメンタリストの南部バプテスト連盟指導部が脅しと恫喝(どうかつ)を以って女性の自治を認めず、連盟組織の一部として『紐付け』しようとした時、この『オーグゼィラリー』としての自立性を盾に、勇ましく戦ったことを付け加えておきます。」(『50周年誌』27-28頁)
バプテストは、「翼賛」であることを嫌います。「翼賛」とは「力を添えて助ける」の意味で、戦中、天皇制国家を支える政治結社として力を奮った大政翼賛会に因んだ語です。そこには、公益のために個の犠牲を強しいた体制主義、上部と下部、主と従というように、既存の在り方に異を唱えることを憚(はばか)らせる同調圧力、思想と価値観の均等化を生み出す不平等な関係がありました。言うまでもなく、連盟と女性連合はそのような関係ではありません。神の前に、肩を並べて福音のために共に働く同労者だからです。ですから、将来女性連合がどのような形を取ったとしても、「自らの判断と責任において」を心深く刻み、それを旨として道を拓き、進んでゆくでしょう。自分の頭で考え、自分の言葉で語り、自分の責任で歩く努力をしながら。
金丸英子氏(昨年度の女性連合・信徒大会での講演)。