賛美歌さいこう

賛美歌さいこう 2025年5月号

執筆者
江原美歌子
所属教会
相模中央教会 音楽・子どもユース担当主事

第2回 バプテスト教会の賛美のルーツから学ぶ

江原美歌子(えはら・みかこ)
相模中央教会 音楽・子どもユース担当主事/新生讃美歌推進担当

 

 

 

福音の喜びを歌う賛美の伝統から「バプテスト教会は歌う群れ」という声をよく耳にします。しかしその賛美のルーツをみると、意外にも「会衆賛美」に関しては論争が起こるほどの始まりがあったことはあまり知られていないのではないでしょうか。

ジェネラル(普遍贖罪説)バプテストでは、「会衆賛美」に対しては、信者が未信者と一緒に歌うことの疑義や、決められた型や形式には霊の力が及ばないという理解があり、例えば1608年オランダの典型的なバプテスト教会の礼拝をみると「祈り、みことば、祈り、説教、わかちあい、祈り、献金」とあり、祈りとみことばの宣教と語り合いが中心となっていました。

その中で会衆賛美を推進していったのが、パティキュラー(限定贖罪説)バプテストのホースリーダウン教会牧師のベンジャミン・キーチ(1640~1704)です。マタイによる福音書26章30節の最後の晩餐でキリストが弟子たちと賛美した記述に基づいて、主の晩餐式の終わりに賛美を導入していきました。それに対して論争を惹き起こしたのが信徒で宝石商のアイザック・マーロウでした。論点は前段のポイントのほか、例えば「女性の賛美による礼拝参画」の問題に対してキーチは、女性が教会で声を発していけない(例・Ⅰコリ14 ・34)のであれば、女性は一緒に「アーメン」と唱和することも、罪の告白や証しすることもできないのか等、巧みに論じていきました。

ホースリーダウン教会では6年をかけて特別な感謝の日とバプテスマ式で、その後14年をかけて毎週の礼拝で会衆賛美が歌われるようになったといいます。長い時を経て、教会の中で意見が交わされ、分裂を経験する中でも、会衆賛美の理解が確立されていき、第2ロンドン信仰告白(1689年版)では、礼拝における会衆賛美の項目も加えられたことで意義が広く認識され、賛美歌歌唱の基礎が築かれていきました。その後、アメリカに渡ったベンジャミン・キーチの甥のエリアス・キーチも会衆賛美を推進していき、英米のバプテスト教会では会衆賛美が大切な礼典の要素として扱われていきました。

先日、礼拝の刷新に取り組むある教会の方から、次世代に礼拝を継承していくための試みとして、教会の牧師と音楽関係者、役員会や信徒会で、新しいスタイルの賛美の導入について話し合いを重ねていることを聞きました。信徒による語り合いにより、いろいろな側面から課題が出し合われ、何が当該教会の礼拝と賛美に相応しいのかが模索されていて、そのバプテスト教会ならではの信徒の礼拝形成の取り組みから示唆と励ましを受けました。礼拝、賛美を創り上げるのは信徒の私たちです。賛美のあり方を求めささげていった初期のバプテスト教会の対話とプロセスから、多くを学ぶことができるのではないでしょうか。

■参考資料:「英国バプテストの讃美歌―初期より19世紀に至る発展の史的考察―」 古澤嘉生、西南学院大学『神学論集』第16集 別冊、1968年。
「アメリカのバプテストと讃美歌」金丸英子、西南学院大学『神学論 集』第68巻 第1号、2011年。
「To Sing or Not to Sing: Seventeenth Century English Baptists and Congregational Song」 Donald C. Brown, “Handbook to The Baptist Hymnal” Convention Press, 1992,
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