平和のかけ橋になる ~沖縄を忘れない~
コリントの信徒への手紙 二 5章18節
シンガポール国際日本語教会牧師
伊藤世里江(いとう・よりえ)
わたしと沖縄との出会い
女性連合では、毎年6月23日を「沖縄(命[ぬち] どぅ宝)の日」として覚えています。また6月には現地学習ツアーも継続し、沖縄に関しての発信をコツコツと続けてきました。
わたしが初めて、沖縄戦や沖縄の歴史を知ることとなったのは、1981年に志村教会(東京、板橋区)に少年少女担当主事として赴任したことからでした。志村教会では沖縄の宮古島、石垣島にある沖縄バプテスト連盟(以下、OBC)の教会との協力関係をすでに持っており、夏休みに伝道チームを送っていました。伝道チームとして参加する前に事前学習で沖縄戦のことや、薩摩の琉球支配の歴史、また、戦後の米軍基地の課題などを学びました。宮古島や石垣島などの先島(さきしま) と呼ばれている沖縄本島以外の島々はさらに沖縄本島からの重税による搾取があったことも学びました。「 蹉跌(さてつ)地獄」(※1)と呼ばれる極度の貧困や過酷な生活を先島の人たちは長年に亘って経験してきたことも知りました。志村教会では当時、OBC首里教会牧師を辞して、宮古島の「開拓」伝道にあたっていた城間祥介(しろま・しょうすけ)牧師の熱い思いに動かされ、夏休みの時期に小学生も含めての伝道チームを毎年、派遣していました。
城間先生は妹さんを対馬丸(つしままる)事件(※2)で亡くしていましたので、学童疎開船が撃沈された対馬丸の話もお聞きしました。宮古島、八重山(やえやま)諸島での教会プログラムの後、本島では米軍基地周辺や沖縄戦の戦跡を訪ねました。沖縄本島の中心部を占める膨大な米軍基地のフェンスを前に、一緒にツアーに参加していた小学生から、「先生、ここは日本なの?アメリカなの?」と聞かれたときの複雑な思いは今も忘れられません。そのような毎年の志村教会と沖縄の教会との交流は10数年に亘って続けられました。
富士吉田教会の牧師をしていた時代には、富士山の雪を那覇新都心教会と西原新生教会に届け、両教会との交流を持ちました。富士山の雪を採取して沖縄に送り、富士吉田教会伝道隊メンバーと、那覇新都心教会の子どもたちで雪合戦をしたことは忘れられない思い出です。その折にも那覇新都心教会の岡田有右(おかだ・ゆうすけ)氏、岡田富美子(おかだ・ふみこ)氏のガイドで辺野古や戦跡を訪ねました。
※1 蹉跌とは、つまづきや失敗を意味し、「苦しみの地獄」の意味で使われた。琉球王朝の時代から先島には 厳しい人頭税(一人あたりの税)が課せられ、農作物の収穫が少ない年も税が厳しく徴収された。
※2 日本の学童疎開船「対馬丸」が1944年8月22日にアメリカ軍の潜水艦によって撃沈された事件。740名の学童を含む1418名が亡くなった。
ABWU沖縄大会 ~平和のかけ橋になろう~

第10回ABWU大会プログラム
2004年2月に沖縄で開催された第10回ABWU(アジアバプテスト女性連合)大会は、その後の女性連合にとっても、わたし個人にとっても、忘れられない大会となりました。この大会はOBC女性会、日本バプテスト女性連合、日本バプテスト同盟全国女性会が、一丸となって取り組んだ大会でした。それぞれの団体の特徴を生かし、会合を重ね、見事なチームワークで成し遂げられたこの大会は、その後の三バプテスト女性会の研修会や交わりにつながり、現在の沖縄を覚え続ける女性連合の活動につながりました。大会のテーマは、「シャローム! 平和のかけ橋になろう」、主題聖句は、コリントの信徒への手紙二 5章18節「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(新共同訳)でした。神がわたしたちに委ねてくださった和解の務め。この20年あまり、幾度となくこの聖書の言葉はわたしたちを促し続けてきました。
沖縄を覚え続けて
毎号の『世の光』でも沖縄の現在の課題がさまざまな証人によって書かれています。『世の光』2025年1~3月号の「沖縄 ―知る・祈る・共有する―」の宮城(みやぎ) むつみさん(OBC那覇教会)の証しは、基地問題をめぐっての沖縄の長年の分断を伝える心痛むものでした。沖縄の課題は変わることがないばかりか、辺野古の埋め立ては強行に進められ、先島には、防衛のために、と自衛隊の基地がどんどん拡張されています。沖縄での分断はさらに深まっているとさえ言えます。今年度の女性連合のテーマ「広く世界の状況を知る~小さき声に心を傾け~」は、まさに沖縄が置かれ続けてきた状況を知り、小さき声に心を傾けることへとわたした ちを導きます。
沖縄のことを思うと、重い気持ちになって来ることが正直あります。しかし、そのような状況の中で沖縄の女性たちが前向きに、しぶとく、明るく、主を信頼して生きておられる姿に、わたしたちは励まされて来ました。
沖縄を覚えることを通して、「平和のかけ橋になっていく」。神がまず先立って、わたしたちとご自分とを和解させてくださいました。わたしたちに和解の言葉を委ねてくださいました (Ⅱコリント5・19より)。ひとりの力はとても小さいですが、わたしたちがつながっていく時、沖縄を覚え続け、祈り続けていくことができます。そのことを思い、「平和のかけ橋になる」使命を、思い起こしたいと思います。
(引用は協会共同訳を使用)
北海道生まれ。学生時代にミッションスクール入学を機に信仰を持つ。西南学院大学神学部、サウスウエスタンバプテスト神学校卒。日本バプテスト連盟宣教部主事、富士吉田教会牧師を経て、シンガポール国際日本語教会牧師(2013年より現在)、連盟アジア・ミッション・コーディネーター(2013~2022)。