多くの罪を許されて生きる
菊池シオン教会(熊本) 富田 博子(とみた・ひろこ)
私は毎朝、教会の聖書日課の箇所を『世の光』と『聖書教育』から学びながら、生かされていることを喜んでいる者です。
70年前、阿蘇の山郷で農林業を営む両親と祖父母の家に生まれ、二人の弟たちと美しい自然の中で育ちました。5歳で教会学校へ通い始め、高校卒業後、看護師を目指して上京。日本国際ギデオン協会の白い小さな聖書とラジオ伝道を通して、神さまの言葉に励まされたものです。卒業後3年間は大学病院に残り、奨学金免除。貯金で進学して保健師と助産師の資格を取り、地元に戻って町の初代保健師となりました。
3年後、52歳の父は仕事先でくも膜下出血を起こして急死し、家族全員が突然悲しみを受けました。私は翌年見合い結婚し、長女を授かりました。上の弟も結婚し、家族が増えて実家に笑顔が戻っていきました。夫の転勤が告げられ、私は夫に従って役場を離職。次女も授かり、主婦業を4年間続けました。次女が2歳になり、産婦人科への再就職を決意。安心して預けられる保育園を探して、菊池シオン教会に隣接する小羊保育園を見つけました。故犬童和生(いんどう・かずお)園長と松子(まつこ)先生を頼り、教会の方がたに祈られて、娘たちは小羊保育園と教会で育ち、私は35歳で故加来始(かく・はじめ)牧師よりバプテスマを受けました。娘たちも次々に信仰告白をしていき、喜びが溢れました。
共働きで夢中に働き、日曜日は教会に集う生活では睡眠時間が減り続け、母が乳癌、祖母が末期癌と入院が重なり、病室の床や椅子の上で3時間程仮眠をとる生活が3ヵ月程続いたある日、私は全身の浮腫と高血圧で倒れました。循環器科を受診し、肥大した心臓の治療が始まりました。死を覚悟しました。イエスさまに「あと10年生かして欲しい」と願い続けたそんな折、東京バイブルチャーチの特別伝道集会が教会で開かれました。大勢の方がたの祈りの中で私は他人の目を気にすることなく、あのカナン人の女のようにイエスさまにすがったのです。願いは聞かれ、身体の中に不思議な力が入ってきました。「新しい命を与える」と言われ、多くの罪を許された者になりました。下の弟は44歳で布団の中である夜突然死。種々の病を患(わずら)いながら上の弟も55歳で急死しました。実家の幸いを祈り続けていましたが、母は独居となり弟たちを探し回る日々を過ごして、私と娘たちで家を離れることを拒み続けた母の生活支援を続けました。
私は52歳で長女と助産院「七つのパン」を開業し、阿蘇広域の介護認定審査員を20年以上続けています。母は2年前の9月、イエスさまを見上げながら89年の生涯を終えました。父が死んでちょうど40年後に同じ病気で他界。未信者ばかりの地で当教会の濱川耕一(はまかわ・こういち)牧師と犬童れい子さんの奏楽によって15名の教会員の賛美と祈りを受け、前夜式、告別式を行うことができました。
私は今日も主によって生かされています。