例会プログラム

例会プログラム 2024年8月号

執筆者
伊藤 世里江
所属
シンガポール国際日本語教会 牧師

アジアの隣人たちと共に座るために
詩編133編

シンガポール国際日本語教会牧師
伊藤世里江(いとう・よりえ)

 

はじめに

日本では今年は戦後80年の節目を迎えるということで、さまざまな特集番組や新聞の連載などが持たれていることでしょう。わたしたちは日本がアジアの国々で戦争加害者であったことを聞きはしますが、実際のところ、具体的には学校教育ではほとんど何も教えられません。『世の光』の読者の方がたは、シンガポールやインドネシアで日本軍の虐殺行為があったことを誌面で聞いた覚えがあるかもしれません。それでも、わたし自身、実際にシンガポールに住むようになり、身近な人たちから家族の話を聞くまでは、まだ、少し遠い出来事のように思えていました。

身近なところにある戦争の傷

わたしはシンガポールの女性牧師たちの小さな祈りのグループに参加してきました。わたしとほぼ同年代のグループです。ある時、メンバーの一人が言いにくそうに、最近の母親の様子を伝えてくれました。当時、80代後半だった彼女の母親が夜、「日本軍が追いかけてくる」とうなされているというのです。80年近く前に怖い思いをしたことが、何十年経っても恐怖としてよみがえって来る。この同じグループの別の女性牧師は、母方の祖父が日本軍によるいわゆる華僑(かきょう)虐殺事件(※)で殺されたということを、同じグループで知り合って何年か経ってから、「あなたのせいではないから」と前置きをして話してくれました。

当時、彼女の母親はまだ10歳。父親が突然いなくなり、三人の子どもと母親は日々の食べ物にも事欠いたそうです。母親はクリスチャンになってから、日本人を赦せるようになったが、おばさんは今だに日本製品は買わないと言っていました。5、6人の小さなグループの中での出来事に、いかに多くのシンガポール人が身近な家族を殺されたり、怖くてつらい思いを経験してきたかを思い知りました。

※ 日本軍による中華系一般住民の虐殺事件(市民の犠牲者数約3~4万人とシンガポールでは言われている)。18~50歳までの中華系男性が指定の場所に集められ、一方的にスパイ容疑をかけられ、虐殺された。

華僑虐殺事件の「検証」の様子を伝える絵

華僑住民虐殺事件で殺された人たちの遺品。1960年代に発掘された。

 

IJCSの誕生もシンガポール人の赦しの祈りから

前号でIJCS(シンガポール国際日本語教会)が7月で29歳の誕生日を迎えたことをお伝えしましたが、IJCS誕生の背景にはシンガポール人のつらい経験と赦しの祈りがありました。『世の光』では何度かお伝えしたことがありますが、IJCSにとっては出エジプトのように繰り返されているIJCSの原点のストーリーです。

熱心な中華系クリスチャン教師であったマダム・チャンは精魂(せいこん)込めて育ててきた女学校をシンガポールに侵攻してきた日本軍に没収されました。同じころ、父親を亡くし、餓死寸前までにやせ細っていた2歳児の男の子を養子として育てる決心をしました。成人したジョンは牧師となりました。ジョンは心から養母を尊敬していましたが、彼女が日本人への憎しみから自由になれないことに心を痛めていました。ある時、意を決し、母親に「お母さんはいつまで日本人を恨み続けるのか」と問いました。マダム・チャンは黙って部屋に籠もってしまいました。一週間後、部屋から出て来たマダム・チャンは言いました。「わたしが間違っていた。日本人を赦します。あなたは日本に行って、シンガポールにいる日本人に伝道する宣教師を送ってくれるように頼んでください」。

シンガポール連盟の総主事となったジョン・チャン先生は、日本バプテスト連盟の宣教100年大会(1989年)の時に初めて日本を訪れました。そして、シンガポールに日本人宣教師を送ってくれるように連盟に何度も要請しました。こうして1995年、加藤享・加藤喜美子(かとうとおる・かとうきみこ)両宣教師がシンガポールに派遣され、翌年1996年7月にIJCSは誕生しました。

IJCSの毎週の週報には、IJCSの伝道ビジョン「過去の歴史を踏まえて和解の使命を持ちつつ、キリストの福音を伝えるためにシンガポールの地に根を下ろし」とあります。

シンガポールの人たちの赦しと祈りから生まれたIJCS。現在の礼拝出席者の構成比は日本人とシンガポール人半々に近いかもしれません。国際結婚の子どもたちは両方の国籍を持ち、日本語も英語も広東語も話します。平和でなければIJCSは存在していないと礼拝をささげるたびに思わされます。

チャン・清和(チィンフゥ)さんと息子のジョン・チャン牧師

見よ、兄弟が共に座っている(詩編133編)

詩編133編は「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び (新共同訳。協会共同訳では「兄弟が共に住むことは/何という幸せ、何という麗しさ」)と賛美します。

詩編133編を声を出して読んでみましょう。この詩はもともと同じ民族、同胞が共にある歓びを歌った詩と言われています。祭司を中心に共に礼拝を守る歓びを、夏でも雪が頂上にあるほどに高い山であるヘルモン山から、シオン(エルサレム)に降りてくる露のように豊かな潤いが滴り落ちると歌います。

実際にはヘルモン山からエルサレムまでは200キロ近く離れています。しかし、神の祝福が高い山から裾野(すその)に広がるように降り注ぐという豊かなイメージがここにあります。

わたしはシンガポールに来てから、自分がアジア人であるというアイデンティティをより強く持つようになりました。シンガポールにはアジア文明博物館やシンガポール国立美術館で、「アジア」を意識して、アジアの文明や歴史、美術、芸術を学べる場所が多くあります。世界の主な宗教であるキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教はアジアで生まれた宗教です。なによりも、イエスさまはユダヤ人、つまりアジア人でした!

もちろん、主の恵みはアジア人に限られるのではなく、世界のすべての民をきょうだいしまいとして、招いてくださっています。

戦争は二度と繰り返してはなりません。平和を造り出し、それを守ることは決して容易なことではないことを最近の世界情勢からも知らされます。だからこそ、平和を造り出す者とされるように、祈っていきたいと思います。

(引用は協会共同訳を使用)

《プロフィール》
北海道生まれ。学生時代にミッションスクール入学を機に信仰を持つ。西南学院大学神学部、サウスウエスタンバプテスト神学校卒。日本バプテスト連盟宣教部主事、富士吉田教会牧師を経て、シンガポール国際日本語教会牧師(2013年より現在)、連盟アジア・ミッション・コーディネーター(2013~2022)。
お詫びと訂正:
6月号5頁上段1行目「蹉跌(さてつ)地獄」は「蘇鉄(ソテツ)地獄」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。
「蘇鉄地獄」とは大正末期から昭和初期にかけての沖縄県の経済的窮状をさすことば。主食(サツマイモ・米)を確保することもできずソテツ(猛毒を含み、調理法を誤ると中毒死する)を常食とせざるをえないほどの苦境下にあったことからその名が生まれた。第一次世界大戦後の戦後恐慌に端を発する長期不況は、全国の都市と農村に大きな打撃を与えたが、とりわけ生産基盤の脆弱な沖縄県では深刻な事態が発生した。(小学館 日本大百科全書〔ニッポニカ〕より)

話し合いのために

  • 日本以外の国から教会に来ている方があれば、その方やその家族、その国で戦争について聞いてきたことをお聞きしましょう。
  • 身近なところで、アジアの人たちとの出会いを分かち合ってみましょう。
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