まず、転換「点」を見定める
神戸伊川教会牧師(兵庫)
鮫島泰子(『世の光』編集委員)
女性会、壮年会という「性別」によって入会者が制限される信徒会活動の課題性については、ジェンダー平等や性の多様性が話題となるかなり以前から議論されていました。例えば、「世界伝道」「伝道者養成」といったような目的やテーマによる信徒会活動ならば信徒一人ひとりが信仰的重荷や興味に従って主体的に参加できるはず、といった意見も繰り返されて来たように思います。今、「私たち女性連合はさまざまな意味で時代を画する転換点に立っている」という意識を共有し今後向かうべき方向を模索する中で、なぜ女性連合が「世界伝道」を目標のひとつとして掲げているのか、連盟の世界伝道を支えるための世界バプテスト祈祷週間献金(以下、世界祈祷献金)の推進母体なのか、簡単に歩みを振り返ってみましょう。
1900年ごろ、バプテストの女性信徒たちは米国南部バプテスト連盟から派遣された宣教師の妻たちから学んで自宅を開放、キリスト教の伝道を始めました。父権制社会、女性の地位が極端に低かったかの時代に、知人や近所の人たちを招いては賛美歌を歌い聖書を読み、信仰を証ししました。その勇気と信仰、決断と実行力、当時の状況に思い巡らせるほどに胸が熱くなります。
日本バプテスト婦人会同盟(※1)は、米国南部バプテスト連盟の宣教方策であった「世界伝道」を自らの使命として受け入れました。その後1934年、日本バプテスト西部組合(現・日本バプテスト連盟)の婦人部として組織の一員となるも、やがて自主自給の組織「日本バプテスト婦人連合」として独立。1973年のことです。
「世界バプテスト祈祷週間」による献金推進活動は、第二次世界大戦中の一時期を除いて継続され、19五五年、連盟の「沖縄伝道」(※2)にその年の献金の60パーセントが用いられました。これ以降、女性連合(旧・婦人連合)は世界祈祷献金の推進母体として歩み続けて現在に至ります。
資料で女性連合の歴史を振り返ると、萌芽から102年余りの歩みの中で何度か大きな転換を経験してきたことが分かります。時代の価値観や既成概念によって多大な影響と制約を受けつつ、男性主導の組織運営の中で不当な扱いを受け「数」の力に押し流されそうになりながらも、精一杯女性の主体性を主張し組織的な男女不平等に一石を投じ続けて来たことが見えきます。
「世界伝道」は、始まりはお仕着せであったかも知れません。しかし女性たちは時代の風の中でそれを再解釈し、改めて主体的に「私たちの目標」として選び取りました。この地点から私たちは将来、未来を展望するのです。今多くの女性会が、女性会員が、世界バプテスト祈祷週間や世界祈祷献金、連盟の国外伝道について釈然としない思いを抱いているのではないか。性別による組織の意義について未来に向けて相応しい在り方への改革を望んでいるのではないか。そんな私たちにとっては、連盟の機構改革もまた追い風、大きく舵を切る好機になるのではないかと期待が膨らみます。
「主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう」(詩118・6)。大いなる方の眼差しの中で安らぎながら、みんなでこの大仕事を成し遂げていこうではありませんか。
※1 日本バプテスト婦人連合の前身。1920年第1回総会にて発会。
※2 この当時の沖縄伝道は「国外」伝道として行なわれた。その過ちの悔い改めとして連盟では1998年第47回総会において「沖縄『国外』伝道に関する総括」が、女性連合では2004年第32回総会において「沖縄を『国外』と位置づけたことで沖縄の人びとの痛みを自らのものとしえなかったことへの悔い改め」が採択された。