緑の考古学

緑の考古学  2024年9月号

聖書植物の復元(6)

長住教会(福岡)
小林 洋一(こばやし・よういち)

 

 

 

アーモンドと掛けて「滅び」と解く。その心は「見張っている」

聖書の7産物に別れを告げ、これから他の植物の紹介に移ります。最初は春先に桜より早く花を咲かせるアーモンドです。聖書植物園にあるアーモンドは白ではなくピンクの美しい花をつけます。

さて、アーモンドは、エレミヤの預言者としての召命の出来事の中にも出てきます(他に創43:11、民17:23、コヘ12:5)。

11主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(שָׁקֵד シャーケード)の枝が見えます。」
12主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(שֹׁקֵדショーケード)。」(エレ1:11-12、新共同訳)

ここから、預言者がどのように神の言葉を聞いたのかを垣間見ることができます。多分、アーモンドの花が咲く春先(聖書の地では2月頃)、エレミヤはぼにゃりとその花を見ていたのかもしれません。そうしますと、彼の心にアーモンド(ָׁקֵדシャーケード)の掛詞(語呂合わせ)である「見張っている」(שֹׁקֵדショーケード)が響いたのでしょう。

エレミヤは、イスラエルの現状を顧み、神が見張っているならば、イスラエルを待っているのは神の裁き(滅び)しかない、と悟り、背信からの悔い改めを促す預言をスタートさせます。預言者は神の言葉を音声ではなく心で聞きます。預言は神と預言者との心的対話の発出です。

(写真)山崎喜代子

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