緑の考古学

緑の考古学  2024年10月号

聖書植物の復元(7)

長住教会(福岡)
小林 洋一(こばやし・よういち)

 

 

 

ケッパー ―人生の黄昏

 

ケッパーは、聖書では1回だけ、やがて死を迎える高齢者の老衰の比喩の1つとしてコヘレトの言葉に出てきます。

人々は高い場所を恐れ、道でおののく。アーモンドは花を咲かせ、ばったは足を引きずり/ケッパー(אֲבִיּוֹנָה アビヨナ)の実はしぼむ(פֵרתָּ タフェル)。人は永遠の家に行き、哀悼者たちは通りを巡る。(コヘ12:5)

人々は高い場所を恐れ、道でおののく」とは歩くとき転倒を恐れるようになること、また「アーモンドは花を咲かせ」は白髪になること、さらには「ばったは足を引きずり」は重い足取りとなることを表すのでしょう。

さて、それではケッパーは何の比喩なのでしょうか。実は、ケッパーの箇所は意味の確定が難しい2語(אֲבִיּוֹנָה アビヨナ+פֵרתָּ タフェル)からなり、解釈がわかれます。ケッパーは性欲を増進する植物と考えられていたようで、協会共同訳は「アビヨナ」を「ケッパー」と訳し、「ケッパーの実はしぼむ」としました。これは性欲が衰えることを意味しての訳と考えられます。口語訳は「アビヨナ」を「欲望」(普通名詞)と解釈して「その欲望は衰え」としていました。なお、新共同訳は「アビヨナは実をつける」としています。これも可なのですが、この場合の意味は「その実は老年を意味する」となりますかね。

ところで、ケッパーのつぼみの酢漬けの瓶詰めが市販されています。買ってみましたが、トルコ原産と栄養成分表示があるだけで効能書きはありませんでした。

(写真)清水明

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