祈りのきずな

祈りのきずな 2025年6月号

執筆者
杉本 拓哉
所属教会
江波教会

詩編25編~詩編54編

江波教会(広島)牧師 杉本 拓哉(すぎもと・たくや)

1日(日)詩編25編

山道や雪路ではとくに、先導する者の足跡によって安全な道を知ることができます。主の慈愛は迷子になった人びとへの共感や同情として現され、主の真実(エメト) は「アーメン」と同じルーツで「確かさ」の意味が含まれます。罪人も苦しみの中にある人も主を畏(おそ)れる人も、主は憐れみ、確かな道を示してくださいます。
奈良教会と葛西(かさい)隆憲牧師、平山利香伝道師(奈良・奈良市)

2日(月)詩編26編

嘘や賄賂(わいろ)がはびこり、公正や正義が蔑(ないがし)ろにされた社会においては、裁きを信用することが難しくなります。しかし、それでも主の裁きに期待する詩人がここにいます。目の前には主の慈しみがあり、口は主への賛美で溢れ、手は主に仕えるために清められ、足は主に向かってまっすぐな道を歩ませてくださるのです。
みささぎ伝道所と岡村ゆり伝道師(奈良・奈良市)

3日(火)詩編27編

私たちは何を恐れているのでしょう。正直な所、私は力による支配も、身近な人との別離も、冤罪(えんざい)
言葉による暴力も恐ろしいです。しかし、それらよりも主から拒絶されることを恐れているのか問われた気がしました。主が共にいてくださるので、終末の裁きにおいても恐れることはない、と励まされます。
堺教会と平良仁志(たいらひとし)牧師(大阪・堺市北区)

4日(水)詩編28編

神に祈りをささげても解決へと導かれない時、祈りが聞かれているのか不安になります。それでも、神の沈黙は私たちに必要な備(そな)えの時なのかもしれません。時が来て、詩人は神に賛美をささげます。信頼する主に助けていただいたからです。そして個人的な祈りは、執り成しの祈りへと変えられていきました。
関西黎明(れいめい)教会と江田治男牧師(大阪・東大阪市)

5日(木)詩編29編

雷のような主の言葉が響き渡る時、語られた事柄は力をもって成し遂げられていきます。その出来事は、創世の言
(ことば)を思い起こさせます。被造世界は産みの苦しみの中にありますが、主が王座に着き世界を治められる時が来ます。神の子らは主の栄光を褒めたたえ、主は力と平和を与えられるのです。
東大阪教会と柴田良和・中村尚子各牧師(大阪・東大阪市)

6日(金)詩編30編(聖書協会共同訳)

まるで墓穴へと沈むような意識の中、助けを求めて伸ばした手を、主はしっかりと掴(つか)んで引き上げられます。瀕死(ひんし)の病や苦難をも乗り越えて、救いのみ手は死からの命を得させてくださるのです。光は暗闇に勝ち、涙の夕べを越えた喜びの朝を迎える時、嘆(なげ)きは踊りへと変えられ、感謝に溢(あふ)れることでしょう。
シオンの丘教会と川口まな牧師(大阪・藤井寺市)

7日(土)詩編31編

緊急時には消防や救急などに助けを求め、指示に従って応急処置を行い、救助を待ちます。そこには信頼があります。同じように太刀打ちできない相手に包囲された時は、主に嘆き祈り、救いを求めて良いのです。慈しみ深い主は、信じて身を寄せる人びとを守る堅固な城塞(じょうさい)となり、庇護(ひご)を与えてくださいます。
平野教会と松坂有佳子牧師、高田ゆかり派遣伝道者(大阪・大阪市平野区)

8日(日)詩編32編

子どもでも悪事が見つからないように隠すことがあります。それは創世記にも出てくる罪人の性質でしょう。しかし不安や悩みは消えません。隠すのではなく、「ごめんなさい」と悔い改め、赦(ゆる)される時に、主にある平安を実感します。私たちを取り囲む主の慈しみの中、喜びの歌と踊りをささげます。
田辺教会と喜多村(きたむら)やよい牧師(大阪・大阪市阿倍野区)

9日(月)詩編33編

楽器や歌声をもって、天地万物を創られた主を賛美します。圧倒的な力で主のみ心が成し遂げられていく時、正しく主を畏れる心が生まれるでしょう。スター選手やトップアイドルが目を合わせて、言葉をかけてくれたら驚いてしまいます。主は我が子を慈しむように、あなたを見つめておられるのです。
大阪教会と下川俊也(としや)牧師(大阪・大阪市天王寺区)

10日(火)詩編34編

ダビデは貧しさや苦難や災いからの救いを体験しました。だからこそ同様に打ちのめされた人びとに、希望の言葉を分かち合う者とされています。主の恵み深さを知ったならば、その幸いを隣人にも家族にも伝えたいと願うことでしょう。なぜなら主のもとに、助け・救い・守り・贖(あがな)い・赦し・命があるからです。
大阪旭伝道所 ※3月31日付で閉所いたしました。

11日(水)詩編35編

隣人のために心を寄せて行動しても、私の不幸を喜ぶ人がいるかもしれません。神の裁きを期待しても、裁判官は眠り沈黙したままだと思う日もあるでしょう。それでも主が、攻撃や搾取(さくしゅ)、悪意や病(やまい)からも助けてくださいますように。主の正義により平和が与えられ、主への賛美が永遠にささげられますように。
大阪中央教会と咸光玉(ハムクァンオク)・蔡永伊(チェヨンイ)・文連子(ムンヨンジャ)・渡辺正(わたなべただし)各牧師、内藤希代(ないとうきよ)伝道師(大阪・大阪市中央区)

12日(木)詩編36編(聖書協会共同訳)

悪いことと知りつつも犯す罪があります。良心を麻痺(まひ)させて、悪意に身を置くならば、打ち倒される結末が待っています。主の慈しみを見上げる時、恵みは川のように満ち溢れ、人は被造物と共に、命の泉や主の光を目にすることでしょう。善(よ)からぬ道ではなく、まっすぐな道に立ち帰ることができますように。
和歌山中央伝道所と河亨植(ハヒョンシク)担任牧師(和歌山・和歌山市)

13日(金)詩編37編(聖書協会共同訳)

悪人の繁栄を見て、怒りや妬(ねた)みが湧くことがあるかもしれません。しかし主を信頼する人にとっては、主にある希望の約束が人生の指針となります。地を受け継ぐという約束を神の時間軸で見るならば、永遠に神の王国の住民とされることでしょう。まっすぐに主を見つめ、平和な未来を選び取れますように。
堺伝道所と山口美香牧師(大阪・堺市北区)

14日(土)詩編38編

肉と骨に痛みがあり、心が元気になれず、病によって愛する人も友人も離れ去りました。困難は続き、敵対者が容
赦(ようしゃ)せずに命を狙(ねら)ってきます。目も耳も口も弱まり、足がよろめき倒れそうになったとしても、救い主は見捨てることなく伴(ともな)ってくださいます。悔い改めの近くに、主の助けがあることでしょう。
東豊中教会と河野(こうの)浩牧師(大阪・豊中市)

15日(日)詩編39編

「雄弁は銀、沈黙は金」という諺(ことわざ)がありますが、主はこの人の沈黙を望んでいるのでしょうか。会話は断られ、み手で触れても振り払われ、御(おん)目で見ないでくれと言われ、意思疎通が困難です。人を懲らしめる厳しさの背後には、罪から立ち帰ることを願い、再び関係性を築こうとする主がおられます。
南千里教会と蓮池昭雄牧師(大阪・吹田市)

16日(月)詩編40編

主の恵みにより、罪の赦しや苦難からの助けが与えられたならば、感謝の気持ちをどのように表すでしょうか。律法には動物の命をささげる規定があり、私たちは次第に形式を優先してしまいがちです。しかし主はささげる心を見られます。主に信頼し、喜び楽しみつつ、心からの礼拝をささげましょう。
北大阪教会と古賀昭範牧師(大阪・守口市)

17日(火)詩編41編

病に伏せる時、気持ちが落ち込んでいる時、何気ない言葉に傷ついてしまうことがあります。「ハリネズミのジレンマ」にあるように、寒さに震(ふる)え暖を求めて近づくと、互いの針で刺し合ってしまう私たちがいます。それでも主は弱り果てた人に寄り添い、思いやりの心で起き上がらせてくださるのです。
京都洛西教会と李鎭鐵(イジンチョル)牧師(京都・京都市中京区)

18日(水)詩編42編

イスラエルは地中海性気候です。乾季で枯渇している川の谷底に、一縷(いちる)の望みをかけて鹿は来ました。切実な魂の渇きから、主のもとに命の水を慕い求める情景です。しかし雨季には一転、山の雪解け水が激流となり渓谷を襲います。苦難で神を見失いそうな時こそ、救い主を告白していけますように。
京都教会と李海勲(イへフン)牧師(京都・京都市上京区)

19日(木)詩編43編

山で迷子になる時、見放されてしまったと心細くなります。自(みずか)らの力で助けを求めることはできず、派遣される救助隊を頼りとする中、主の光とまことが近づいてきます。顔を合わせれば心が安らぎ、救いを実感することでしょう。主が伴われる中、導きに従って進む先には喜びの礼拝が待っています。
北白川教会と軍司康博牧師(京都・京都市左京区)

20日(金)詩編44編

戦いにおいても過去を振り返ることは重要でしょう。勝敗の原因を突き止めれば、次なる一手に導かれるからです。歴史を通して先祖は、武器でも能力でも人数でもなく、主の望みによって勝利を得たことを証ししました。だからこそ、たとえ今は敗走しているとしても、主の助けと贖いと慈しみが希望となるのです。
北山教会と小櫻信(まこと)牧師(京都・京都市北区)

21日(土)詩編45編

国をあげての結婚式、王の花嫁は着飾って宮殿に入ります。理想の王はどのような存在でしょう。戦いに勝利する力強さがあり、真実と謙虚さと正義をもって政治をし、公平な裁きをする者に、神は油を注(そそ)がれます(ヘブライ語で「救い主」を意味する)。終末における結婚式、あなたはどこに登場するでしょうか。
大津教会と上田益之(ますゆき)牧師(滋賀・大津市)

22日(日)詩編46編

地震や津波などの災害において、世界を創られた方が避難所を建てられ、一人ひとりの魂に守りと助けを与えてください。世界中で戦争があり、核兵器廃絶など武力を捨てることはチャレンジです。人には困難な道であったとしても、圧倒的な主の栄光が、戦いをやめさせ平和を成し遂げてくださいますように。
新田辺伝道所と永藤(ながふじ)裕幸牧師(京都・京田辺市)

23日(月)詩編47編

主が全地の王となられたことを拍手と賛美をもって歓迎します。これは終末の預言でしょうか、それとも信仰による証でしょうか。私たちの心の王座に主を招きましょう。主が住まわれる場所として迎えましょう。神の国はますます広がり、神の統治は永遠に続き、神の栄光が褒めたたえられますように。
須磨伝道所 ※4月27日付で単立教会として独立しました。

24日(火)詩編48編

主が都を取り囲む城塞となられるので、安心安全な場所となります。強力で堅固な守りは、侵攻してきた王たちも諦
(あきら)めて逃げ去るほどです。しかし時間の経過と共に、救いの記憶は薄れてしまいます。だからこそ語り伝え、自分の目で確かめさせ、死を越えて導かれる主に、心を向けようではありませんか。
びわこシャロームチャペルと桶田(おけた)紀夫牧師(滋賀・守山市)

25日(水)詩編49編

富む者も貧しい者も、賢者も愚者も、動物たちにおいても、等しく死を迎えます。どれほど力強くても、財産があったとしても、自分の魂を買い取って永遠に生きることはできません。死が私たちの命を支配していたからです。しかし神が身代金を支払い、魂を買い戻してくださるので、感謝して畏れ敬(うやま)うのです。
四日市教会(三重・四日市市)

26日(木)詩編50編(聖書協会共同訳)

裁きの日、すべての人は神の前に立ちます。神と契約を結んでも、人びとはささげものをしなかったか形式だけだったようです。神はささげられた血と肉を、ご自身の食事のために必要とはしません。私たちの応答行為は、神への感謝と信頼の表れです。そして主は裁判の結果を保留し、道を正(ただ)す機会を与えられるのです。
インドネシア伝道と野口日宇満・野口佳奈各宣教師のために

27日(金)詩編51編

私たちは基準を定めても、時代や状況によって基準すら揺らぎ、確かな霊を持ちませんでした。清い心や聖なる霊は、本来私たちの内には無く、主が創造されるものです。罪に支配され囚われていましたが、自由な霊によって救いの喜びが与えられました。そして主は、打ち砕かれた霊を求めておられるのです。
国際ミッション・ボランティアのために(佐々木和之氏・ルワンダ)

28日(土)詩編52編

ハサミは開封のために便利な道具ですが、間違って用いれば凶器にもなります。言葉も同様に、人を力づけて励ますことができますが、多くの罪を犯(おか)すこともあります。人に使命があるように、道具には適切な使用法があるのです。私たちの口を、祈りと賛美と福音を分かち合う道具として用いることができますように。
シンガポール国際日本語教会(IJCS)のために

29日(日)詩編53編

人は神を無視する時、今さえ自分さえ良ければと、自己中心的になりやすいものです。その結果、神とも隣人とも関係性が傷つけられます。悪を行う者は、自分の欲望を叶えるため、他者を人扱いせずに消費します。主に頼るしかない人は幸いです。その叫び声を主は聞き届け、救い出してくださるからです。
アジアバプテスト女性連合(ABWU)のために

30日(月)詩編54編

敵が私の命を狙い攻撃してきたら恐怖を覚えます。しかし私と相手との間に、神がおられることを想像しましょう。相手からの攻撃を、神が防ぎ助けてくれます。そして神のレンズを通して、相手に裁きと報いが降(くだ)されることを祈ります。恵み深い主のみ名により、成し遂げられることを信じ、感謝をささげます。
福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)のために

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