こひつじかい

小羊たちとともに 2025年4月号

執筆者
富田 直美
所属
市川大野教会[千葉]

 愛されているよ~神に愛されているこども~

富田 直美(とみた・なおみ)
市川大野教会[千葉]

聖書

あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣(なら)う者になりなさい(エフェソ5・1)

賛美歌

こどもさんびか132「きみがすきだって」

おはなし

「神は愛です」(Ⅰヨハネ4・16b)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「神は愛」。それは私たちにいつでも「優しくしてくれる神さま」ということでしょうか?

聖書に答えがあるかもしれないと思って探してみました。そして、「愛」を説明している箇所を見つけました。「愛は忍耐強くて親切。人をねたまない。自慢せず、高慢にならないし、礼儀に反することもしない。得することばかりを求めず、怒らず、人の悪事を数えない。正しくない事を喜ばないで真実を喜ぶ。じっとこらえて、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてに耐える。愛は決してなくならない」(Ⅰコリント13・4~8、私訳)。

なるほど、神さまは目に見えないけれど、こういう存在ということでしょうか。神さまに愛されたら、愛のある人になれるのでしょうか。それとも「神に倣うものになりなさい」と書いてありますから、努力して神のような人にならないといけないのでしょうか。

私にできるか考えてみました。困っている友だちに親切にすることができるような気がします。でも、人気者の友だちがいたら羨(うらや)ましく思うことがあるかもしれません。人と比べて自慢できることを見つけたり、自分が得になることを選んだり、自分と考えの違う友だちのことを好きになれなかったり、お母さんが毎日同じこと言ってくるのって「めんどうだな」と思ったり、「神に倣う」なんてとてもできないなと思いました。神さまはそんな私のことをどう思うのでしょう? 呆(あき)れているかしら…、愛してなんてくれないかも…。

そんなことはありません。神さまはそんな私と知りながら、愛してくださるのです。「神に倣う」というのは、「神のようになる」ということでなく、神さまの大きな愛を知って、その愛に励まされ、支えられて生きることです。できないことだらけの私のことを信じてくださる大きなお方、その愛に「ありがとう」と応えることが「神に倣う」ことなのです。

神さまの愛を知ったなら、お日さまに照らされるようにポカポカと暖かくなると思います。


(イラスト:飯田 もも[筑波])

 

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