正義と平和とカトリック教会
昼間 範子(ひるま・のりこ)
日本カトリック正義と平和協議会事務局員
前回、私は「唯一である教会は、世界に対して『預言者』として、警告し、導く存在であってほしい」と正平協(せいへいきょう・日本カトリック正義と平和協議会)は望んでいるのだ、と書きました。
しかし、ジェンダーという視点からは、カトリック教会は、「預言者」どころか、完全に遅れをとっていると言わざるを得ません。カトリック教会はその伝統主義を拠り所に、男性のみに限定された叙階制度(※)と、叙階(じょかい)された男性が統治の権限を独占することを正しいこととし続けています。そしてそれは、教会内でさまざまな形の偏見や差別、暴力を生み出しているのです。もちろん世界中の多くのカトリック信者がこのことを問題と考えています。傷ついている人もたくさんいるのです。それなのにその改革の必要性は、残念ながらカトリック教会全体の一致した意思にはなっていません。
正平協の50年の歴史において、この問題に関する議論は、とくに1990年代に高まりました。1993年3月、「女性委員会」が立ち上げられ、96年10月にはその問題意識の拡大を目指して、第22回「正義と平和全国集会東京大会」が、「女と男の正義と平和」というテーマで開催されました。集会の報告書には、参加者が書いた率直な祈りの言葉がたくさん記録されています。例えば、「教会が2000年間の女性差別に気づき、真に反省できますように」「カトリック教会における女性差別の砦(とりで)を崩し、神の前での人間の平等を建前(たてまえ)ではなく、現実のものにしてください」などなど。
その後も、正平協のニュースレター『JP通信』の掲載記事を辿ると、教会におけるジェンダー正義の実現を求める声は、連綿と引き継がれてきたことがわかります。また近年では、2023年3月、「世界と日本の教会のジェンダー意識」というテーマで全国的な会議を開催し、同テーマのオンライン公開講演会には、延べにして約200件のアクセスと参加がありました。
こんなに頑張っているのに変わらなかったこの50年。「教会の男女差別はあと100年は変わらないよ」。そんな自嘲(じちょう)的とも言える声が聞こえます。「いや、これでは100年経っても変わるまい」と絶望的な気持ちにさえなります。
しかし私は、こうした記録を読む機会を得たことで、こう言わねばならないと考えるようになりました。カトリック教会が世界の中で、世界と繋がり、影響しあって存在している以上、この偏(かたよ)り、遅れすぎたジェンダー意識は、教会内だけの問題ではありえないのだと。それは、世界中に未だ残る家父長制的専制主義、性差別主義、世界のあちこちで起こる性による暴力を正当化し、力を与えることになってしまっているのだと。だから、絶望などしている暇はありません。正平協のみならずすべてのカトリック信者は、教会がいま、直(ただ)ちに変わるために、力を惜しんではなりません。唯一普遍の教会を信じ、心を尽くして神を愛するのであれば。 (日本カトリック正義と平和協議会事務局員)
※カトリック教会において、「司教」「司祭」「助祭」という聖職者の身分と職務に就かせる儀礼を「叙階」と言う。叙階によって聖職者の位階的な秩序体系を作る制度。