三浦綾子の人生と文学が語る信仰④
「道ありき」――“愛するか?
森下 辰衛(もりした・たつえ)
三浦綾子読書会講師
前川正(まえかわ・ただし)が死んで一年の命日が来たとき、堀田綾子(ほったあやこ)はもう泣くのをやめ、心を開いて手紙を書き、見舞ってくれる人に会おうと決めた。
その一ヵ月後の1955年6月18日土曜日、三浦光世(みうら・みつよ)が綾子を初めて見舞った。二人が属していた同人誌『いちじく』を主宰する菅原豊(すがわら・ゆたか)が、病状の芳(かんば)しくない綾子を心配して三浦光世に見舞いを依頼したのだ。『いちじく』は結核療養者と死刑囚のための同人誌だった。菅原は光世を女だと思ったらしい。その日、母の堀田キサが取り次いで「『いちじく』の同人の三浦さんという方がお見えですよ」と告げたとき、綾子は驚いた。その名を知っていたが、死刑囚の消息に詳しいことから、彼も死刑囚だと思っていたのだ。病室に現れた三浦光世を見た綾子は目を疑った。亡き前川正に余りに似ていたからだ。ギプスベッドに臥(ふ)す綾子を見た光世は、自身も長く結核で苦しんだ経験から、深く同情し、二度めの見舞いの時には「神さま、私の命をさしあげても良いですから堀田さんをお癒しください」と祈った。やがて二人の間には静かに愛が育っていった。
出会いから一年後の夏の朝、光世は綾子が死ぬ夢を見て、愕然(がくぜん)として目覚め、彼女が癒されるように真剣に祈った。一時間ほど祈ったとき「愛するか?」という不思議な声を聞いた。「愛するか?」とはどういうことなのか? 彼女と結婚する覚悟を問われているのだろうか? 十分愛してはいても一生を共にできるだけの愛はない、と悟った彼は求め祈った。「もし、結婚が神のご意志であれば、どうかその愛を与えてください」。祈り終えた彼はすぐに、綾子に愛の手紙を書いた。綾子は答えた。「私はこのとおりの病人なのです。愛してくださっても、結婚はできませんわ」。彼は言った。「なおったら結婚しましょう。なおらなければ、ぼくも独身で通します」。
何というありがたい言葉だろうと感動したが、正直に言っておくべきことがあった。「三浦さん、わたし、正さんのことを忘れられそうもありませんわ」。
三浦光世は綾子に言った。「あなたが正さんのことを忘れないということが大事なのです。あなたはあの人に導かれてクリスチャンになったのです。わたしたちは前川さんによって結ばれたのです。綾子さん、前川さんに喜んでもらえるような二人になりましょうね」。
こうして二人は結婚を約束した。前川と交わした、必ず生きて使命を全うする、という旧い約束を丸ごと肯定して、それが成るように共に生きよう、と招き抱きしめ直す、大きな新しい約束だった。この約束がもたらした愛と平安と喜びが綾子を癒していった。出会いから足掛け五年後、脊椎カリエスが完治した堀田綾子は2歳下の35歳の三浦光世と結婚した。
神からの愛の問いかけ、応える決心と祈り求め、そして大きな良い約束。いつも奇跡はこうして起きる。(三浦綾子読書会講師)
旧堀田家跡(現・法律事務所)。歩道に立つ人物の右側が三浦光世。(2006年、筆者撮影)
※『道ありき』は3部作で、この他にも『この土の器をも―道ありき第二部 結婚編―』『光あるうちに―道ありき第三部 信仰入門編―』(いずれも新潮文庫刊)があります。