立証 ~沖縄・敗戦後に生きて~(3)
宮城むつみ(みやぎ・むつみ|沖縄バプテスト連盟 那覇教会)
1968年、沖縄住民による初めての行政主席の選挙が行われました。「即時・無条件・全面返還」を掲げる革新側に対して、あのフェルディナンド・T・アンガー高等弁務官は「基地が縮小・撤廃されたなら、琉球の経済は再び芋とさかなに依存した生活になるだろう」とけん制しています。経済界も「『基地撤去』による復帰は時期尚早である」と言い、「イモ・ハダシ」論との対立が住民の中にもありました。結果は「即時・無条件・全面返還」を掲げる革新候補の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)が勝利しました。
その時、私は大学を出たての中学教師でした。偶然にも私のクラスに相手候補の息子がおりました。中学二年生です。教師は屋良一色の中、息子のN君は選挙期間中肩身の狭い思いをしていることを交換日記で知りました。「お父さんは間違っていますか」と聞く彼に「あなたのお父さんは立派な方よ。先生方とは立場が違うけれど、『沖縄を何とかしたい。沖縄の経済のために頑張りたい』という方です。胸を張って堂々としていなさい」と励ましたことを思い出します。敗戦から78年を経た今も、沖縄では基地を中心に家族や友人知人、職場でこのような対立と分断が燻(くすぶ)っています。
復帰して51年目を迎えました。沖縄県には31の米軍専用施設があり、米軍基地は沖縄県の総面積の約8%、また沖縄本島に限定すれば約15%の面積を占有しています。国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.27%が集中しているのです。また、陸上だけではなく、27の水域と20の空域が訓練区域として米軍管理下に置かれ、漁業の制限や航空経路の制限がある水域が約54,938㎢で九州の約1.3倍、空域が約95,416㎢で北海道の約1.1倍の広大なものとなっています。それでもまた新たに基地建設が進められているのは周知の事実です。世界一危ない普天間基地を撤去するのが目的と言いますが、その普天間はいつ返還されるのか分からない状態での辺野古の基地建設です。今、あの辺野古のサンゴとジュゴンのいる美しい海を沖縄の土で埋め立てています。その沖縄の土には戦争で亡くなった方がたの血と骨が混じっているのです。私の父はどこで戦死したのかわかりません。父の遺骨として骨壺には亡くなったであろう伊江島の石が入っています。きっとその亡くなった場所は父の血を吸い、骨は土と混ざり合っているのでしょう。
こんな短歌があります。「資料館で迎えた盆の日に詠む」とありました。
草むして いづこの土ぞわが背子よ 霊魂(たま)かえる日は 土の愛しさ
民意を無視して土砂は辺野古の海へ運び込まれていきます。
平和への祈りと、戦没者への慰霊を行う6月。この島は静まります。そして…主は
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤(すき)とし/ 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光のなかを歩もう」(イザヤ2・4~5)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれる」 (マタイ5・9)
(2023.6.24[土]、那覇新都心教会で行なわれた第14回沖縄6・23学習ツアー講演会での証より抜粋)