ー善き力に囲まれてー
名も無き者をこそ エフタの娘と彼女の友たち(士師記11・29~40)
鮫島 泰子(さめじま・やすこ)
神戸伊川教会[兵庫]牧師
士師エフタ
士師記の筆者とされるサムエルは、エフタの物語を、…勇者であった。彼は遊女の子で、父親はギレアドである(11・1)と、主人公の紹介から語り始めている。ギレアドといえばヨルダン川東岸の広大な一帯を指し示す場合が多い。異邦人の土地であったものをヨセフの孫マキルが勝ち取ったのである (ヨシ17・1)。マキルがこの戦果に因(ちな)んで我が子にギレアドという名前を付けたとしてもおかしくない。このギレアドを父に持つエフタは、旧約聖書風に言うならばヤコブにまで遡(さかのぼ)る名門の生まれである。ところが彼は、遊女の子であるという理由で家を追い出されてしまう。この時代、そんな理由で家を追い出されることが有り得たのかどうか。想像に過ぎないが、ギレアドがエフタを特別に可愛がった (ヤコブがヨセフを溺愛[できあい]したように)か、もしくはギレアドの妻も男の子を産んだ(11・2)とあることから、エフタが長男であった可能性もある。正妻の子らが共謀(きょうぼう)して彼から長子の特権を奪(うば)おうとしたとも考えられるのである。いずれにせよエフタは家を離れてトブという地に住み、やがてならず者たちの頭領(とうりょう)となっていく。
そののちアンモン人たちがイスラエルに戦いを挑んで来た時、ギレアドの長老たちはエフタを指揮官にしようとして彼の許(もと)へとやって来た。エフタは、敵に勝利した暁(あかつき)には自分が民の頭(かしら)になることを条件に長老たちの願いを受け入れ、ギレアドへと帰還する。そして、戦闘開始に先立ってアンモンの王との対話を試(こころ)みようと使者を送ったのである。アンモン王がこれを拒否するとエフタはさらに民数記から論拠を見出して、イスラエルが不当な領地獲得をして来なかったこと、不当な戦いを仕掛けてきた民をイスラエルの神が追い払ってくださったこと、今はお互いの神がそれぞれに与えてくださった分に満足すべきではないか、などと再び使者を送って語らせたのである。暴力による領地争いが常態化していた時代に、エフタは戦闘を回避しようとして粘り強く和平交渉を続けたのである。しかし遂(つい)にアンモンの王は耳を貸さなかった。エフタは、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた (29b)。その途上にて彼は取り返しのつかない過(あやま)ちを犯(おか)してしまう。
暗 転
もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします (30b~31)。もし…なら。これは条件を持ち出す場合の言い方である。エフタは、もし神さまが私の願いを叶えてくださるのならば私はあなたに燔祭(はんさい)をささげます、と言っているのである。これは祈りではなく取り引きである。彼は神さまと取り引きをしようというのである。ある書物に、彼の言葉が意味するものは疑いであって信仰ではない。操作であって勇気ではない (※1)とある。思うに、エフタには対アンモン戦に勝算があったのではなかったか。人は昂(たかぶ)るとつい調子に乗って大言壮語(たいげんそうご)を吐いてしまうものである。――不遇の少年、青年時代を余儀なくされたこの私が遂にギレアドの頭になる――との思いが心を掠(かす)めた瞬間、口から信じられない言葉が飛び出したか…。いけにえとして人をささげることが忌むべき異教の慣習であることをエフタが知らないはずはない。
彼の思惑(おもわく)通りアンモン人に勝利し、意気揚々と凱旋(がいせん)したエフタを最初に迎え出たのは、彼の娘であった。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった(34b)。誰もが一瞬言葉を失うが、続くエフタの言葉は到底許し難い。ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない (35b)。これではまるで「悪いのはお前だ」と言わんばかりである。言うまでもないが、この悲劇を招いたのは断じて娘ではない。エフタにはなぜ予想できなかったのか、誰よりも先に父を迎えたいと一人娘が待ち構えているであろうことを。
この愚かな父に対して一人娘はこう答えている。父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから (36b~d)。信じられない発言に驚き呆れるばかりである。いかに女性が疎外(そがい)され人権が認められていなかった父権性社会のこととはいえ、操作によって小さくされ弱くされた者たちは「力」に服する以外選択の余地がなかった時代とはいえ、娘はどうしてこんなに無抵抗で無批判なのか。どうして激怒したり絶叫したり号泣(ごうきゅう)したりしないのか。それ以上に、なぜエフタは娘を助けるために力を尽くそうとしないのか。必死で彼女の命乞いをするべきではないのか。ギレアドの頭になるのだからその権力をもってすれば娘の命を助けることができるではないか…。
※1 『旧約聖書の悲しみの女性たち』、フィリス・トリブル著、河野信子訳、日本キリスト教団出版局、1994
エフタの娘
エフタの娘はひとつのことを父親に願い出ている。わたしにこうさせていただきたいのです。二か月の間、わたしを自由にしてください。わたしは友達と共に出かけて山々をさまよい、わたしが処女のままであることを泣き悲しみたいのです (37b~d)。娘のこの願いや39節から、彼女はいけにえにされて殺されたのではなく生涯独身を貫(つらぬ)くこと、つまりは子孫を残さないことを強(し)いられたのだ、との解釈もある。出来事のあまりの凄惨(せいさん)さと理不尽のゆえにそう信じたい気持ちもよく分かる。しかし筆者はそうは語っていない、おそらく。親の手で燔祭のいけにえにされた一人娘の物語を記(しる)したのだ、おそらく。そして「エフタの娘の物語」を読んだ私たちには宿題が与えられたのだと思う。現代の世界、社会の中で起き続けて後を絶たない「子どもの命」に関わる事件に心を向け続けること、小さな命を守り切れなかったのは私たち全大人に責任があるという自覚を持ち続けること、という宿題である。
名も無き者をこそ
「エフタの娘」を題材にした絵画は少なくない。そこにはたいてい複数の人物が描かれている。初めてそれらを見た時、正直違和感を覚えた。私が彼女だったら最も信頼する友と二人だけで旅をしただろうと思ったからである。しかし眺め続けているうちに、それが画家たちの信仰の証しなのではないかとの思いに至った。作品に描き込まれた彼女ら彼らは、「エフタの娘の物語」の語り部たちだったのではないか。40節に、来る年も来る年も、年に四日間、イスラエルの娘たちは、ギレアドの人エフタの娘の死を悼(いた)んで家を出るのである、とある。描き込まれた友人たちはただ悲しんで泣くだけではなかったのだ。彼女の死を、言葉と行為をもって後々まで語り継いだ。彼女の死を無駄にしないために。人間の歴史は権力者、支配者、力ある者たちによって紡(つむ)がれていくように見えるが、神さまはむしろ、流れに呑(の)み込まれ雲散霧消(うんさんむしょう)してしまう泡のような命を忘れ給わない。それどころか名も無き者をこそ歴史の語り部としてお用いになるのであろう。名前すら記されなかったエフタの娘と絵の中の友人たち、語り部たちがそのことの確かさを私たちに伝えてくれている。