聖書研究

聖書研究 2025年3月号

寄留者の神、神の寄留者
第12回
寄留者としてのキリスト教会 -ローマ帝国の迫害を乗り越える道-
(ヘブライ11・9、13 / Ⅰペトロ1・1、2・11)

金 性済(キム・ソンジェ)

 

 

 

I 聖書伝承に貫つらぬかれる寄留者

 旧約聖書においてまず中心に置かれる人間共同体とはイスラエルである。そのイスラエルから見れば、旧約聖書において寄留者(ゲール)とは周縁的な概念と思えるかもしれない。しかし、旧約聖書の中に描かれた神の証人としての族長をはじめ、特別な意味をもつ人物、そしてイスラエル共同体のアイデンティティの根底に寄留者の記憶が深く刻まれていることを、私たちは見逃してはならない(1)。紀元前13世紀末にパレスチナ中央高地に「イスラエル」と呼ばれる集団が存在したことがメルネプタハ碑文で裏付けられている。そこから最初期イスラエル集団を、カナン都市国家支配から農民や最下層の人びとが離脱して来て、パレスチナの中央高地に寄り集まり集落化していくようになった寄留者(ゲール)の集合体と説明する研究もある(2)。

(1) アブラハム(創23・4);イサク(創26・2);ヤコブ<の息子ら>(創47・4、動詞形);モーセ(出2・22);ダビデ(歴上29・15);エリヤ(列上17・1<トーシャーブ>、20 動詞形);詩編詩人(詩編15・1、動詞形;119・19)など。

(2) Frank Anthony Spina, “Israelites as gerim, 'Sojourners', in Social and Historical Context,”所収:The Word of the Lord shall go forth : essays in honor of David Noel Freedman in celebration of his sixtieth birthday, ed. Carol L. Meyers, Michael Patrick O'Connor, Wiona Lake, 1983, 321-335頁。

旧約聖書において単に他者としての寄留者のみならず、イスラエル自身のアイデンティティに深く刻まれたこの寄留者というモチーフ、あるいは問いが、イエスの福音の中に脈打ち、そしてイエスの十字架と復活後、エルサレムから始まり、パウロの宣教を経て、やがて1世紀末からのローマ帝国による迫害を乗り越えていくキリスト教会の中で新たな意味を輝かせ始める。

II ポスト・パウロ宣教時代の寄留者:ヘブライ書と第1ペトロ書

紀元60年頃のパウロのローマでの殉教後、80年代にローマ帝国によるキリスト教会に対する迫害が激化する。寄留者概念が深い神学的な意味をもって用いられるヘブライ書も第1ペトロ書もその迫害が強まった時期に書き送られたと聖書学研究は考える。つまり、迫害の最中にある小アジア地方(現在のトルコ)の諸教会に第1ペトロ書はローマから、ヘブライ書は周辺地域(アレキサンドリア?)から、イタリア(ローマ地域? ヘブライ13・24)の教会に向けて慰めと励まし、そして希望を、キリストと十字架の苦難の意味を解き明かしながら伝えている。

さて、一口に日本語で「寄留者」といっても聖書の原語においては意味をもって書き分けられている。

・ヘブライ書11章13節

クセノス(よそ者
パレピデーモス(仮住まいの者
※ヘブライ11・9ではアブラハムの生き方を表現するために「パロイケオー」(パロイコス[旅人]の動詞形アオリスト形)が用いられている。

ヘブライ書11章1節の「望んでいる事柄を確信」し、「見えない事実を確認する」信仰に生きた旧約聖書の証人たち、とりわけアブラハムやサラらの存在を、今や天の故郷にたどり着いていて、ヘブライ書を書き送られた紀元1世紀末の今、苦難の中を生きるキリスト者も地上の寄留者として後に続き、目指すべき目標としての寄留者と意味づけている。

ヘブライ書には予型論的な歴史理解が色濃く打ち出されている。それは過去の旧約聖書に記された大祭司メルキセデクという存在が来きたるべき大祭司キリストを指し示し、来るべき時に自分たちがたどり着く存在と理解されることによって、現在の自分が過去と未来の大きな時の導き(救済史)の中に生かされている、と考える神学である。それゆえ、この理解を基に過去の信仰の証人たちと現在の自分とがこれからたどり着くべき天の故郷に寄留者という概念を通してつながれることになる。

・Iペトロ書

1章1節 パレピデーモス(手紙を受け取るキリスト者に向けて)
1章17節 パロイキア(地上に生きる間のキリスト者を表現)
2章11節 パロイコス(旅人)とパレピデーモス

ヘブライ書と比較しての第1ペトロ書の寄留者概念について三つの際きわ立った特徴があることが、第1ペトロ書の寄留者概念について社会科学的方法論の立場から詳細な研究をしたジョン・H・エリオットは次のように指摘している。


    • 寄留者概念としてのパロイコス、またパロイキアは、神学的意味以前に当時の小アジア地方をはじめとする社会で、その地域の先住者としての権利を持たないが、全くのよそ者(クセノス)でもなく、またパロイコスよりもより不安定な地位とみなされるパレピデーモスに比べ、その社会に受け入れられた存在(商人や職人など)を意味する政治的・法的な概念であったこと。
    • ロイコスの原語自体がオイコス(家)と、オイクという語根を共有しながら密接につながっており、そこから当時の小アジア地方のキリスト者は出身がユダヤ人であれ非ユダヤ人であれ、その宗教的な理由からもパロイコスとして疎外や差別、また迫害の対象とされるが、パロイコスとしてのキリスト者の群れはそれがゆえに「神の家」と呼ばれるキリスト教会に呼び集められた存在とみなされること(3)。
    • その概念が「離散」(ディアスポラ、1・1)という表象と重ねられていることと、また「人々から捨てられ」(2・4)「家を建てる者の捨てた石」(2・7)とつながれることによって、寄留者が十字架の死から復活されたキリストの「尊い、生きた石」(2・4)であり、「隅の親石」(2・7)に支えられた神の「霊的な家」(2・5)をつくり上げていく存在とされるという神学的な構想であること。

(3) John H. Elliot, “A Home for the Homeless: Asocial-Scientific Criticism of I Peter, Its Situation and Strategy, Eugene 1990, 23-35頁。従って、第1ペトロ書の「神の家」「寄留者」は、「神の家族」とされたことにより、もはや「よそ者」(クセノス)でも「寄留者」(パロイコス)でもない、とするエフェソ書2・19とは理解が異なる。


2章11節ではパロイコスとパレピデーモスを並べながら、たとえ迫害の苦難の中にあっても「肉の欲を避け」(11節)、「異教徒の間での立派な行い」(12節)を実践することを勧めている。すなわち、迫害の苦難に遭ってもそこから逃避的に引きこもる生き方ではなく、世に出てよき働きを人びとの間で果たすことにより「訪れの日に(人びとが)神をあがめるように」(12節)努めることを励ましているのである。

第1ペトロ書も、ヘブライ書と同様にキリスト者の苦難の現実を背景にし、また迫り来る「万物の終わり」(4・7)への終末論的な希望を語っている。そしてその未来を仰ぎながら、十字架に捨てられたイエスが今や隅の頭石とされる「神の家」に招き入れられた寄留者としてのアイデンティティと今この世界で果たすべきその社会的責任について自覚する神学が色濃く表れているといえる。

 

III  帝国時代の迫害を乗り越えて行く福音の道としての寄留者

紀元1世紀終わりから始まる迫害の時代にキリスト教会は社会的に絶滅の脅威と危機にさらされていた。ローマ帝国による危険視と迫害によって助長されるように帝国内の各属州や地域において土俗/民間伝統宗教に根差した地域社会からも当時のキリスト者はさまざまな苦難を受けていたことだろう。

当時、地中海世界において誕生して間もないキリスト教はともすればユダヤ教の分派のひとつとみなされていた。しかし、なぜ地域社会からも、またローマ帝国からも大きな迫害を受けることになったのだろうか。

帝国の版図を拡張しながら、諸民族を取り込んでいったローマ帝国は何を恐れていたか。それは帝国の支配に取り込まれた諸民族が連合して、ローマ帝国の「平和(パックス・ロマーナ/皇帝礼拝)」に反旗を翻ひるがえし、独立を果たそうとする動きであった。それゆえに帝国の支配の方法とは、帝国支配に取り込まれた各民族が互いに連合することがないように地域の土俗/伝統宗教に根差した閉鎖的な集団にとどめておくこと、すなわち分割統治であった。ところがキリストの福音は、まず民族間の疑心暗鬼と敵意が十字架に砕かれ、神との和解と共に人と人、民族と民族の間に和解と平和の共同体としてキリストの体なる教会を呼び集める根拠であり、力であり、またより小さく、弱くされたいのちへの共感と慈しみが人の心に促される教えであった。このような教えとは、当時の帝国にとっても宗教に根差した閉鎖的社会にとっても脅威として受け取られ、それゆえに迫害の対象となったのである。

そのような背景から帝国によって公認される地位を受けることのできないキリスト教会は迫害されればされるほど、ローマ帝国という世界においても地域社会においても安住の地を求めることはできず、「訪れの日」にかなえられる天の故郷への到達の希望を一層強められ、その待望の信仰を深められていったであろう。そのようにして苦難の中で終末論的な希望の信仰を深めるキリスト教会はこの地上における自分の存在理由とその道を、世界(オイクメネー)の中を、善き行いをもって世の人びとにキリストを証ししながら天の故郷をめざして導かれる寄留者として受け止めていったといえる。

旧約聖書伝承の中で示された道とは、約束の地カナンに向かって旅を続ける寄留者アブラハムたちがカナンのどこの地にたどり着こうとも行く先々で人と人、民と民の間において自分の存在自体が民と民の間で神の祝福となって(創12・2)生きる寄留者の道であった。

旧約聖書における神の寄留者として生きる信仰の伝承が、新約聖書においては紀元1世紀終わりからの帝国の迫害の時代に天の故郷をめざす終末論的な希望の信仰を深めつつ、敵意の中垣を乗り越え、どの出身であろうとも等しくキリストの和解と平和にあずかりひとつにつながれて生きるキリストの寄留者の道として継承されることになったといえよう。従って、新旧約聖書の信仰とは、寄留者的現実と実存に始まり、この世界において自分の存在が歓待と友愛を分かち合う祝福そのものとして神に用いられながら、ひたすら天の故郷をめざす寄留者としてこの世のどんなバベルの塔的権威をも相対化する道筋を指し示す本質を内包していることを、私たちはしっかり学びたい。

Ⅳ 聖書の黙想:寄留者のまなざしと共鳴盤

聖書における寄留者というテーマとは、他者としての寄留者へのまなざしという見方にとどまらず、絶えず神の前で寄留者として生きる実存という自己理解である。そして、この寄留者の実存から世界が見つめ直される。もし私たちが聖書の神・キリストの前に生きる者・教会として、この寄留者の二重のまなざしを見失い、それゆえに寄留者の実存に響く神の声、また他者としての寄留者から聞こえてくる叫びに耳を澄ませる共鳴盤を喪失してしまうなら、私たちには、ユダヤ教であれ、キリスト教であれ、独善的な選民意識(たとえば、植民地侵略に同伴していった19世紀後半から20世紀の帝国主義的なキリスト教会とその時代に生まれたシオニズムを省みる)を呼び起こすバベルの塔の誘惑が忍び寄る。「寄留者」の現実から神に見出され、選び取られたという記憶を失い、「選び」の信仰と思想が独り歩きし始めると、それは「バベルの塔」的誘惑にとらわれていくことを、聖書に立つ信仰共同体が歩んだ世界史の教訓から学びたい。

去る1月21日、ワシントンの大聖堂での大統領就任祈祷礼拝で、前日就任式を済ませ、臨席したトランプ大統領に向けて、聖公会のマリアン・エドゥガー・バッデ主教は、説教壇から「今この国でおびえて暮らす人びと、すなわち難民、非正規滞在者、また同性愛者たちに慈しみの心を向けてください」と語りかけた。バッデ主教のこの言葉は、私たちが時々、日曜礼拝の中で語って来た事柄かもしれない。しかし、バッデ主教は、不法移民を徹底的に追放すると豪語してきたトランプ大統領に直接語りかけたのだ。私は「バベルの塔」と、小さくされ怯える「寄留者」の間で、「私は主以外、何ものも恐れない」という信仰に立ち、歓待と友愛を堂々と証し(マルトゥリア)し、神の祝福となる寄留者の姿をバッデ主教の中に見る感動を覚えた。

私たちは教会共同体とその宣教の原点に立ち帰るためにも、もう一度、新旧約聖書を貫く寄留者の存在を通して神がご自分の民に問いかけたことを振り返りながら、自分の信仰と教会、そして宣教の奉仕(ディアコニア)と交わり(コイノニア)を問い直すために寄留者の精神、その霊的なまなざしと共感の共鳴盤について思い巡らしてみるべきではないだろうか。

【金 性済氏プロフィール】
1952年生。在日大韓基督教会岡山教会、川崎教会、名古屋教会にて牧会。
1989〜1996年、米国カリフォルニア連合神学大学院(The Graduate Theological Union)にて旧約聖書学研究.Th.D.(神学博士号)取得(学位論文『ゲール〈寄留者〉と古代イスラエルのアイデンティティ』1996年3月)。
2018年3月19日より2024年3月末まで、日本キリスト教協議会(NCC)総幹事。

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