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聖書研究 2025年6月号

執筆者
比企 敦子
所属
日本基督教団 紅葉坂教会

いのち・平和・人権
わたしたちは誰と共に、どこに立つのか
第3回 二人の主人(マタイによる福音書6・24)

比企 敦子(ひき・あつこ、日本基督教団紅葉坂教会)

 

 

はじめに

1月のトランプ大統領就任式礼拝において、マリアン・エドガー・バディ米国聖公会主教はメッセージの中で、「民主党、共和党、それ以外の無所属の家庭に性的マイノリティの子どもたちはおり、彼らは命の危険を感じている」と語りました。「また危険にさらされているのは、国外追放を恐れている人びとも同様だ」と続け、「多くの移民は犯罪者ではなく良き隣人である」とトランプ氏に対して再考を求めました。前日の就任演説において「生物学的な男女だけを性別として認める」と語り、大統領令に署名したからでした。トランプ氏は説教中終始渋い表情で、後に主教に対し謝罪要求をしましたが、彼女は一蹴しました。「聖書を読んだり福音を説いたりしたことを謝罪したりなんかしません」と。

以前、世界聖公会内においても性的マイノリティへのスタンスは割れていて、国際会議でも互いに席を共にしないと聞いていました。それ故、この度のバディ主教の勇気に、心から感謝のエールを送りたいと思いました。WCC (世界キリスト教協議会) 議長も主教にエールを送ったそうですが、今後、聖公会内部から主教に対する批判が起きる可能性もあり得ます。性的マイノリティの人権については、秋以降の本稿で取り上げたいと思っています。

 

政財界・皇室との一体化

だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。(マタイ6 ・24)

この言葉を文字通りに読むのであれば、この聖句を理解するのはそれ程難しくはないと思いますが、果たしてそれで十分なのでしょうか? 二人の主人とは何を指すのか、日本の開国当時の状況に目を向けて考えたいと思います。

キリシタンへの弾圧行為を西欧列強に非難された明治政府は、やむなく禁教を解きましたが、人類愛や世界平和を謳(うた)うキリスト教に対する警戒心はその後も長く続きました。この国において国家とキリスト教との対立は長い葛藤(かっとう)の歴史があります。

明治憲法下で教会やキリスト教学校が困難な歩みを強いられたのは、「教育勅語」(1890年)「私立学校令」「文部省訓令第12号」(1899年) などによります。公認の学校では一律に天皇に従順な皇民化教育がなされました。
「文部省訓令第12号」により学内での礼拝が禁止されると、寄宿舎で礼拝を守る学校もありました。兵役免除資格を失った男子校や上級学校への進学資格を失った女子校などもあり、国家によりさまざまな制約を受けました。このような経緯から、日本のキリスト教は「国家とは対立しない立ち位置」を模索してきたようにもみえます。

それでもその間、宣教活動は広がり、各地に数多くの教会・幼稚園・キリスト教学校が創立されました。各地の日曜学校には多くの子どもたちが集まり、毎年生徒大会が開かれるようになります。

1907年にはキリスト教諸教派が加盟した「日本日曜学校協会」(NSSA)が設立されますが、これがNCC (日本キリスト教協議会) 教育部の前身となります。「日、鮮、満、支、ハワイ」(当時の表記) を含む52部会が組織され、事務局は東京の教文館に置かれました。「世界日曜学校協会」(WSSA) の下に日曜学校運動が展開されます。「センター」に展示されている教案誌・聖句カード・賛美歌などから、日曜学校運動の拡がりと共に宣教の勢いを感じさせられます。その気運の高まりが、1920年第8回「世界日曜学校大会」開催へと繋がります。一方、日本政府は、1910年に韓国を「併合」して朝鮮と改称し、植民地化しました。

 

第8回「世界日曜学校大会」開催(東京)

写真 第8回世界日曜学校大会(1920 年10 月、帝国劇場・東京) 資料提供:NCC教育部

 FAX もメールもない時代に、海外32ヵ国から1,800名を迎え、合計2,590名が参加した開国以来の国家的イベントを「成功」させた背景には、内外の教会だけではなく政財界や宮内省のバックアップがありました。現憲法下では信じ難(がた)いことですが、宮内省から「御下賜金」(ごかしきん)5万円が寄付されているのです。現在の貨幣価値では1億円を超えるでしょうか。当時の皇室財政や「御下賜金」研究に照らし合わせても、5万円という金額は破格でした。近代国家として、キリスト教世界大会開催を海外にアピールしたかったためと思われます。政財界だけでなく宮内省の大きな支援を受けた世界大会は「大成功」を収めました。

帝国劇場での大会開催後、来日したキリスト教関係者は各地で講演し、祝賀会が催されました。センターの歴史資料からも、日曜学校運動の爆発的な広がりと共に、多様な教派が共に活動していたことが各種の資料からわかります。

一方この時期は、日本によるアジアへの侵略と重なります。残念ながら、日本の教会は植民地政策に対して無批判でした。その結果、40年代には「戦闘機献金」等戦争協力へと舵(かじ)を切りますが、その流れは急に起きたのではなく、この世界大会開催時にもすでにその要因が存在していたと言えるでしょう。

 

開催に反対した中国・朝鮮のキリスト者

第8回大会開催は、1913年にスイス・チューリッヒで開催された第7回大会で決議された後に実行委員会や後援会が組織されました。大会開催は日本が「招請(しょうせい)」し、可決されたものです。

第1次世界大戦のため東京での開催は数年遅れましたが、WSSA が主催し、NSSA が実行委員会を組織して準備が進みました。日曜学校運動の発展に伴い、東京での世界大会開催自体は信仰に根差していたと言えるでしょう。しかし、「韓国併合」条約締結以降、とくに朝鮮における政府の植民地支配に対し日本のキリスト教は無批判に追従しました。

1919年日本基督教会機関誌『福音新報』では、朝鮮・提岩里(チェアムリ)教会でのキリスト者虐殺と、同村焼き打ちを報じて総督府政策を批判していますが、多くのキリスト者は沈黙していました。案の定、世界大会開催前に朝鮮と中国が反対したため、井深梶之介(いぶか・かじのすけ、※) 等が両国へ説得に赴(おもむ)きましたが、朝鮮、中国からはひとりも参加しませんでした。ちなみに、1928年にロスアンゼルスで開催された第10回世界日曜学校大会には参加しています。日本からは200名が「天洋丸」で横浜から出航したと記録されています。前世界大会開催国として大挙して押し寄せたのでしょう。列強の仲間入りをめざした政財界・宮内省(皇室) とキリスト教が一体化した結果、世界から承認され、歓喜したようにも見えます。皆さまはどう思われますか?

※会津出身の牧師、明治学院第2代総理(院長)。第8回世界日曜学校大会(日本側)実行委員会副委員長。

 

聖書での「富」とは?

一方、1919年2月8日、現在の在日本韓国YMCA において青年たちが「2 ・8独立宣言」を発表したことが、朝鮮における「3 ・1独立運動」への導火線となりました。早大、慶大、青山学院大などに留学中だった朝鮮人大学生580余名が集まり、11名の連名による宣言文・決議文が読み上げられました。その宣言は日本の植民地支配からの独立、言論や信教の自由、平和や民主主義を追い求める内容でした。会場になだれ込んだ警官により60余名が西神田署に検挙され負傷者も出ました。その後、中国でも「5 ・4抗日運動」が起きましたが、日本のキリスト者はそれらの事件をどう受けとめていたのでしょうか。植民地における民衆の叫びはなぜ届かなかったのでしょうか。

世界大会開催を通して宣教拡大をめざすのは信仰の現れであったとしても、わたしたちは誰と共にどこに立つのかが問われています。更に、イエスが使われた「富」という言葉は、単に「お金」や「財産」だけではないと思います。権威、称賛、業績なども、わたしたちが誘惑されやすい「富」であり、神を押しのけて居座る「主人」のように思えます。

「教育勅語」の元で教育を受けた人びとには、天皇家のために生きるという精神性が既に養われていました。当時のキリスト者にとっては天皇や宮内省への違和感はなく、むしろ有難く一体化したのではないでしょうか。

わたしは、「政財界や皇室の後ろ盾」とは、聖書が示す「富」に他ならないと捉えます。更に、日本の植民地主義に苦しんでいた中国・朝鮮のキリスト者たちは、当時の日本の教会から「排除された」と受けとめたと思います。とてもキツイ表現になりますが、日本は隣国の同胞を「踏み台」にして列強(れっきょう)の仲間入りを果たしたとも言えます。このことは日本のキリスト教史において、見過ごせない史実ではないでしょうか。

翻(ひるがえ)って、わたしたちにとって二人の主人とは何を指すのか、もう一度歴史的な文脈において考えてみたいものです。

 

いのち・平和・人権

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。(詩編37 ・37)

「聖書研究」のタイトル「いのち・平和・人権」とは、わたしたちが生きる上で大切な要素であり、どのひとつが欠けても存在が脅(おびや)かされます。昨今とくに脅かされていると感じるのは「平和」ではないでしょうか。日本国憲法第九条で、二度と戦争ができないよう平和が保障されていると信じていますが、果たして本当に大丈夫なのでしょうか。

皆さまもご存知の通り、沖縄を含む琉球弧(りゅうきゅうこ)ではミサイル基地化が進んでいます。本土のメディアが報道するのは、辺野古・大浦湾の埋立てばかりですが、政府は「台湾有事は日本有事」と謳い、琉球弧の島々に巨大なレーダー基地建設を進めています。機会があったら映画『戦雲』 (いくさふむ)や小冊子『宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化』をご覧ください。

 

「ミサイル基地化」する琉球弧

与那国、奄美大島、宮古島、石垣島などには既にミサイル基地が建設され、自衛隊のミサイル部隊、地対空ミサイル部隊、警備部隊、指令部が駐屯しています。宮古島では住民に偽って近隣に弾薬庫が建設され、どの島も「水資源」への影響を懸念しています。政府はミサイル攻撃を阻止する「島嶼(とうしょ)防衛戦争」を掲げ、有事には島民を速(すみ)やかに他島へ避難させるそうですが、ミサイル基地がある故に攻撃を受けるのです。

各島の住民も反対運動をしていますが、必ずしも島民が一致しているわけではありません。軍備化が進む琉球弧の問題は、わたしたちの問題です。戦争前夜である事態を直視し、琉球弧を二度と戦場にしない決意を新たにしたいと思います。非武装による平和を願うと「中国や朝鮮から攻撃されたらどうするのか? 防衛せずに平和は得られない」と一蹴されますが、2025年度防衛予算は約8.7兆円です。中央アメリカ南部にある「軍隊のない国コスタリカ」では教育や福祉が充実し、国民の幸福度は世界でトップです。

詩編の言葉「無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある」にもう一度立ち返りたいものです。


推薦映画:『戦雲』 (2024 年3月)三上智恵監督が、8 年かけて沖縄・南西諸島の島々を取材したドキュメンタリー。
推薦書籍:『宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化』前田佐和子(元京都女子大学教授)著、大軍拡と基地強化にNo! アクション2019、2019 年


【比企敦子氏 プロフィール】
日本キリスト教協議会(NCC)教育部理事、農村伝道神学校講師、「全国キリスト教学校人権教育研究協議会」副会長・運営委員、「マイノリティ宣教センター」運営委員、日本基督教団神奈川教区「性差別問題特別委員会」委員他。東洋英和女学院、フェリス女学院(中高)教員を経て2024 年3月末までNCC教育部総主事。著書:『イエスとともに祈る365 日』『詩篇とともに祈る 365 日』( E・H・ピーターソン著・共訳、日本キリスト教団出版局) 、『キリスト教文化』エキュメニカル運動 vol.20 (かんよう出版)、『この国はどこへ行くのか!?』( いのちのことば社) 他。

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