50周年誌

女性連合の『50周年記念誌』出ました!② 2024年5月号

『世の光』編集委員
花小金井教会(東京) 臼井 愛子(うすい・あいこ)

 

今回は「歴代会長のことば」から、いくつか抜粋して紹介します。これからの教会での世界宣教、女性会、また女性連合を考えるヒントになりますように♪


1981~84年、1987~90年  末永 和枝(山梨)

1962年春、私が富士吉田教会の牧師として5年目を終えようとしていたある日のこと、近所のおじさんに「先生、選挙してきた? 選挙はね、書いて字のごとく。『己と己が共に進む』という意味だよ。よく調べて行ったらいいよ」と言われました。…導きで私は1963年から婦人部主事をさせていただくことになりました。…「選ぶ」という言葉の意味を深く悟った若い日のことです。

主事になって間もなく、私は長崎港から五島に向かう小船に乗り込みました。到着した途端に、待っていてくださった婦人が「よく来てくださった」と両手をいっぱいに広げて私をしっかり抱き留め、潮風でバサバサになった髪を片手に撫でてくださいました。そのぬくもりは今でもはっきりと覚えています。…神の許に帰りさえすれば何の不足もなく平安に生きられる。この平安こそが福音の本質だと思わされた、決して忘れられない思い出です。

1993~96年 工藤 溪子(常盤台)

…しかし、婦人連合結成から50年を経た経過の中で、世界の情勢は大きな変化をして、政治・経済・科学技術あらゆる点で、私どもにとっては想定外というべき変化で、それは必ずしも未来に向かって希望に満ちたものではありません。20世紀は戦争の時代でしたので、21世紀こそ平和な世界を、と願っていましたが、その願いに反して、世界はさらに解決困難な複雑な問題を抱えて歪みを深めているように思われます。…「栄光が神に永遠にありますように」(ローマ11・36)。…この永遠から永遠へと進められる神のみ業の一端に、「神の同労者」として参与する女性連合の働きを感謝し、祈ります。

1997~2001年 福本 順子(自由ヶ丘)

1973年101名が集っての発足当時は、全国の教会・伝道所から100パーセントの加盟があったわけではなく、歴史ある教会でも未加盟の女性会が幾つかあり、実行委員としては日本バプテスト婦人連合(当時)と地方連合女性会との関係や区別などが錯綜する中、地方連合の名称や案内の対象を苦慮したり、加盟のための説明会に招かれたりもしました。

(会長に)選ばれた総会の帰途は、背中に大きな荷物を背負ったかのような重苦しさがありました。責任の重大さもさることながら、私を送り出した東福岡教会の女性会にどう説明しようか? 理解してもらえるだろうか? そんな心配をしていました。…「これまで教会外での働き人を出せなかったので、やっとその時が来たと喜んでいます」との言葉をくださり、以後その言葉と教会の女性会の祈りは、会長の務めをする私の大きな励みとなりました。…世界の各地に生き生きと働く「神の同労者」が大勢いて、その業を導き組み合わせ、時空を超えて神の国の実現のためにお用いになる、主自身のお働きを実感した時でもありました。

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